Home  Profile Freesheetmusic Concerts Links BBS    Aeolian Consort


【黎明期(1970年代)】 
 時は
1971年、所は千葉県立船橋高校の音楽準備室。オーケストラ部(当時は「器楽〈きらく〉部」とも呼ばれておりました)の同学年男子四人組(fugue知足庵bassoconti の3人ともう一人)がプラスチックのリコーダーを持ち寄ってなにやらピコピコやり始めた。これがエオリアン・コンソートの原点であります。

 なんでリコーダーなんか学校に持ち込んだんだったっけ? 確か、バッハの2台のヴァイオリン協奏曲を筆写したとんでもないヤツがいたはず(いきなりこれかい)。ピッコロの代用に使おうなどと考えた不心得者もおったかも(エグモントに使った気が…)。楽器といえば、ソプラノとアルトしかない(知らない)なんとも微笑ましい(寂しい?)面々でありました。ただ、この連中、最初っからどうしたことか指は回るわ、初見はきくわ(とりあえず、オーケストラ部なので)、ひたすら吹くのが楽しくてしょうがなかったんですな。

 1972年、そんなしがない連中のもとに「ベートーヴェンは最近の作曲家だと考えている先生」というウワサと共に社会科教師KQさんがオケ部顧問となったのであります。71年に着任しておったのですが、最初はサッカー部の顧問だったのであります。パレストリーナのミサ・ブレヴィス(当時、愛奏曲だった)の音につられて現れ、いきなり「ねぇ、君達、笛やってんの」、忘れもしない、これがKQさんの第一声でありました。「これこれキミたち、リコーダーっちゅうものはね……」とバッハのフーガの技法を持ち出してKQさんが諭します。3人はリコーダーと古楽についての教えを授かり、瞬く間に洗脳されてしまったのでありました。ハハー。

 しばらく研鑚を積むとKQさん曰く、「キミたち、笛をやるなら御隠居を知らねばならん」。今度はKQさんの先輩である御隠居のところへ連れていかれます。受験直前の年末に生徒を遊びに連れ出す先生も先生ですが、ホイホイついていく生徒も生徒であります。高校生には刺激の強すぎるそこでの体験にどっぷりと浸かり、気がつくともう後戻りできない世界に引き込まれてしまったことを知るのでした。知足庵などはモーツァルトのジュピター全曲をリコーダー五本でやれると豪語し、実際譜面を作っとりました(筆写譜が今でもあるんだな、これが)。「自分たちがやりたい曲は自前で」という方向性は既にこの頃からあったのであります。

【停滞期(1980年代)
 ところが、その後リコーダーや古楽は好きなんだけれど、リコーダーのホールコンソートというかたちに方向性が見いだせず、思うような活動ができません。三人は市民オーケストラに所属しておりましたし、その有志で結成したバロック・オーケストラの一員でもあったので、そちらの活動が中心だったのであります。加えて貧乏学生には楽器を買うゆとりがない。高校を離れた身としてはいつまでもKQさん頼みとはまいらんのです。トホホ。

 しかし、bassoconti御隠居は「我々の道はコンソートにあり」という固い決意のもと、1982年(だったかな?)、fugue知足庵(この時は仕事で東京住まいだった)と共に、リコーダー・アンサンブル「エオリアン・コンソート」を結成することにしたのでありました。ところが、「名前をつけておけば、取り敢えずやる気が出るだろう」という横着かつ安易な発想がいけなかったのか、年に一度合宿で笛を吹けば上出来という志の低さが災いしたのか、定期的に練習する形も作れなかったのであります。うーむ、困ったもんだ。かくして停滞の80年代は瞬く間に過ぎていったのでした。


【転換期(1990年代)
 やはりルッキの活躍の影響が大きかったんでしょうか、それまで年に1、2度合宿で集まって笛を吹くだけだったのが、90年代突入と共に突如として本格化しだしたのであります。3人組の後輩のmonitorgold、そして紅一点?のpikkoroを迎え入れ(引きずり込み?)、6人体制が出来、練習も月に1回、さらには2回と充実させていきました。曲も既成のものでは飽き足らず、bassoconti知足庵を中心に自前で用意するのが普通になりました。パソコン時代に突入し(遅いか)、楽譜ソフトを利用できるようになったのが大きかったかもしれませんな。

 楽器のほうも当初、SATBSn程度だったのが、CBFBと拡張し(FBは二本ともbassocontiの自作)、カンマートーンも揃い、なかなかの陣容になってまいりました。


【現 在】

 
たまにアンサンブルでイメージに近い音が出たりすると、それまでは「ムフフ」と悦に入るだけの非公開型の活動でしたが、「人前に出てみる?」という機運も盛り上がってきて、2003年、習志野市民会館での「反核平和コンサート」でついにステージに立ちました。呪縛が解けてしまい、その後はお座敷がかかると節操もなく出かけて行って恥をかいて帰るという活動を繰り返しています。6人組時代が長かったのですが、05年春、県立高校の校長を退任されたKQさんが再び合流し、総勢7人態勢となりました。次なる目標は「自主企画」なのですが、音がピタッとあっただけでご満悦という連中だけに実務が弱い。どうなることやら。

(注:関係する人間はもっと大勢ですが、現メンバーだけを拾い上げて構成しました)






エオリアン・コンソート


命名はbassocontiだったはず。エオリアン・ハープ(風鳴琴)から着想したのではないかと周囲はにらんでいるが、実際のところは当人しかわからない。Aeolus(Aeolos)は古代ギリシャの「風の神さま」。もともとは「速く動くこと」の意味だったそうな。従って漢字なら「風鳴的楽団」「速動的楽団」てことになるんでしょうか。英語なら「イウリアン」と発音するのが正しいのでしょうが、なんか別の匂いがしてきそうなので日本語訛りの方が無難でしょう。果たして名前にふさわしい音が出せるのやら危なっかしいのですが…。

御隠居

エオリアンの精神的?支柱。とにかくエライ。古楽の豊富な知識と経験で、エオリアンが人の道を踏み外さないよう見守ってくれてます。かつては「大将」と呼ばれておったのですが、赤いちゃんちゃんこを着たのを機に自ら「御隠居」と改名。合宿ではすべての食事を賄うシェフとして「満腹道場」(これが恐ろしいのだ)の師範を務める。弦楽器、リュートの製作者でチェンバロなども手がける。当たり前ですが、楽器製作の実務的知識は相当なもの。最近は現代音楽に傾倒している模様。

KQさん

やっぱりエライ。何十年ぶりの合流なのに違和感なし。直接の恩師だけあって3人組は頭があがらない(monitorgoldも同様)。知足庵などは偶然にも息子の高校の校長先生だっただけになおさらである。重箱の隅まで網羅した豊富な知識と膨大な楽譜コレクション(当人は鍵盤楽器も合唱もやらないのにねぇ)はこれからのエオリアンの大きな支えになってくれるでしょう。心強い限りです。手帳の予定表には膨大な数のコンサートがぎっしり…。メンバーの中で一番練習熱心という評価を得ております。

fugue

原点3人組の1人。おもに高音部を担当。細かい音符はまかしとけばなんとかしてくれる頼りになるありがたい存在(編曲する時は彼がソプラノを受け持つことを想定している)。しかし、ノらない時は笛を吹きながら寝てしまうという特技も。自室のどこかにコルネットが潜んでいるはずなのだが、未だにお披露目するに至っていない。ウーン、なんとか場を設定せねば。今でもレコード蒐集に熱を入れており、あちこちにアンテナを張っている様子。現在も習志野フィルハーモニーのトランペット吹き。

monitorgold

メンバー中いちばん若い、といってもこんなもん。でも周りが相対的に自然と高齢化してるので少しでも若いパワーで引っ張ってほしい。メンバーに加わって以来、せっせと楽器収集に努めてくれたおかげで今や一番の楽器持ちかもしれない。体はデカイ(一度見たら忘れない?)がなぜか笛の音は小さい。恩師と先輩に囲まれておるからか? そんなに奥ゆかしいとは誰も思ってない。もっと自信をもって吹きなさい。fugueと同じく習志野フィルハーモニーのトランペット吹き。

pikkoro

練習場の確保、飲食料物資の調達など雑務を一手に引き受けてくれる、エオリアンになくてはならない「紅一点」(当人はそう言われると結構嬉しいみたいだが、周りは絶対口にしない言葉なのでカッコ付)。笛は「初心者」(自称)をいいことにマイペース。でも5年もやってて初心者のままってのは不自然ではないのか。「吹けないけど落ちない」のモットーはもういいでしょう。最近はグノーやモーツァルトの譜面を知足庵に渡して編曲のおねだりをしているみたい。習志野フィルハーモニーのフルート吹き。

知足庵

3人組の1人。編曲担当。笛はなんでもござれ、いかなる記譜でもOK。伊豆大島赴任中は練習のために月2回島から通う情熱をみせる。理論と屁理屈は人後に落ちない。このHPの制作のほとんどを担当。最近、MIDIソフトを手に入れたので楽譜作りより音作りに熱中している感じである。譜面のほうも頼む。早々に退職してしまったので「若隠居」と呼ばせたいらしいが、普及に苦労している様子。家にチェンバロがあるので、たまに「テレマン・クラブ」と称する催しがある。かつて習志野フィルのファゴット吹き。

bassoconti

3人組の1人。編曲担当。誰もやってくれないので必要なときはコントラバスを吹く。運指が独特すぎる楽器を作っちゃったんだから自己責任かも。エオリアン・コンソートの名付け親(親かい?)。最近はインターネットのあちこちに出没し、ルネサンスの合唱曲集めに精を出している。コンソートの今後についてアイディアは豊富なのだが、周りが暢気なので苦労しているかも。いろんなものに手を出すが、このところどれも停滞中。今年は一つデカい楽器でも作ろうかい。かつて習志野フィルハーモニーのオーボエ吹き。

(文責:bassoconti それに知足庵があちこち加筆)